『旅をする目的』海外に行ったからと言って、天職や運命の相手に偶然出会う?
旅をするのに目的がいるのか?ときかれたら、多分いらない。
レジャーを純粋に楽しみたい、その土地の食べ物を食べたい、アートを見たい、人と交流したい。そういう欲求を満たすためなら、もちろん国内でも十分だ。
おそらく世界を旅する人は、「日本ではちょっと難しい、冒険」がしたいのだ。
ある人にとっての冒険とは、飲み込まれそうなほど大きな滝の水しぶきを感じること、ジャングルの奥の、広大な遺跡を歩いてみることなのかもしれない。
だが、私にとっては、普段使わない外国語を使って知らない場所で日常を送るのも冒険だ。生きている実感が得られるから旅に出るのだと思う。
海外の旅に憧れたきっかけは、小さい頃に読んだ「80日間世界一周」の影響。「世界ふしぎ発見!」を見てエジプトの考古学者に憧れたこともある。
…ようは影響を受けやすいことは認めなければいけない。
なんとなく、大人になったらいつでもどこにでも、自由に旅に出られるのだろう!と思っていた。
実際、会社員時代からは毎年いくつかの国に赴いたし、短期のホームステイや、ワーキングホリデーだって経験した。
「自分を探すってこういうこと?」と思った事もあったが、すぐに違うと気づいた。
海外に行ったからと言って、天職や運命の相手に偶然出会うなんてことは、そう起こらない。
私は特にカナダが好きで愛着に近いものを持っている。
大都市に例えると「ニューヨーク」が大好きで何度も行ってる人は一定数いると思うが、気持はわかる。
そこで冒険したいわけではなくて、ただそこが、日本以外で自分が生きやすい場所なのだと思う。
競争社会でせわしなくて物価高いのに?は、関係ない。
そもそも人にどう思われるかを気にしすぎる社会に疲れて、海外へ行く人も多いのだろう。
大陸横断中にパニック発作発症!
そういう私は一人でも旅をするが、二人で旅をして本当に良かった出来事がある。
旅の相方はドラマーで作曲家でピアニストでエンジニアで、と肩書をわんさか持っている編集長・前田サキ。
私達はアメリカのニューヨークからスタートし、カナダのバンクーバーに向かって北米を横断していた。
前田がいなかったら、なんの前触れもなく発症したパニック障害に負けてさっさと帰国していたと思う。
ニューヨークへ行く乗り継ぎの機内で、突然、息ができないような苦しみに襲われた。
「ちょっと、やばいかもしれない。。なにこれ、視界がせまい。。」
めまいと震えと止まらない動悸で焦る私。もうすぐ気を失うんじゃないか、というギリギリのラインなのに前田はずいぶん落ち着いていた。
「それは多分、パニック障害。本当にやばくなったらCAさんに言うからね」
ずっと声をかけ、背中をさすり、教えてくれた。
多くの肩書きの中に、カウンセラーもあったのだろうか。
30分くらい経過すると、なんともなくなった。
疲れが出たのかしら。この旅の前に出店詰め込んじゃったしな。と、のんきにしていたが、その後ニューヨークでもやはり発作が出て、病院で点滴をされ、検査を受けた。
▶︎【ニューヨーク】日本語が通じる病院に行った6つのトラベルハック。必要なものは無料のクレカの海外保険だけだった。
帰るか帰らないかという話し合いもしたが、結局私は旅を続けることにした。
大人になったらいつでもどこでも旅に出られると思ってたのに、まさかこんなことで終わりなんて嫌。
「帰るにしたって飛行機は乗るんだから、次の場所に行ってだめなら帰るんでもいいんじゃない?」という、これまたのんきなニューヨークの医者に言われたことも背中を押した。
よし、次に移動する「プリンスエドワード島」まで様子を見てみよう。そしてその次のモントリオールまで・・・と小刻みな目標を持って、広い大陸の移動を重ねていく。
最後のゴールは『チリワックに暮らす友人に会いに行く』ことと決めていた私は、「そこまでもてば、あとはどうとでもなれ」と半ば開き直っていた。
チリワックの街をゴールに決めた理由
「よしの」と出会ったのは、もう10年以上前になるだろうか。
私がワーキングホリデーでトロントに滞在していたときのことだ。
同じ語学学校に通っていた当時はクラスメイトとしての付き合い程度だった。
卒業後もカナダに残って借りていた部屋に、彼女が泊まりにきた。
その時、大きなバックパックを背負ってたくましく次の目的地へ向かう彼女をみて、なんだかすごい冒険家と出会ってしまったような気がしていた。
――まさかそんなに長い旅に出るとは思っていなかったが。
よしのとは何かの折に連絡が取れて、日本に戻ってくるときには度々食事をした。
「カナダに来るときは遊びに来てね」と言われて、本気にした私。
次の旅は、”よしのに会う” という目的のためにカナダに行こうと決めた。
よしのはバックパッカーとして沢山の旅をして、山小屋で働いたり、介護の仕事をしながらビザの申請をして、色んな人と出会い、支えられたり支えながら生きていた。
特別英語をペラペラ話せていた印象がなかったけれど、住み込みで障害のある女の子のサポートをしたり、手術後のお年寄りの家でお世話をしたりしていた。
家族とのコミュニケーション、お世話する相手だけでなくその周りの人との人間関係、アジア人が少ない地域での生活は、相当な努力も必要だったろうし、孤独も感じたと思う。
それでも、移住するという目標や周りの人への愛情を失わず、孤軍奮闘していた。
正確には仲間を見つけていたので、孤軍ではないのか。
ダンカンという人口5千人弱の小さな町で、介護サポートさせて頂いていたおばあちゃんとの間に築いた友情はとても温かく、思いやりがあるものだった。
「私のほうがお世話されてるんだよ」と、よく言っていた。
私もカナダに旅行中に、よしのがサポートしていたおばあちゃんの家に遊びに行かせてもらったことがある。
本当の孫のように大切に思われているのを見て、とても安心した。
最初はなかなか大変だったという田舎暮らしも、たくさんのお年寄りの友人ができて、経験からくるアドバイスをもらえたり、知りたい!という知的好奇心とユーモアを持ち合わせた人たちとの交流を楽しんでいるようだった。
そういうよしのの話は、もちろん辛いこと、苦しいことも聞いたが、本当にキラキラと輝いて見えた。
彼女はカナダに移住することを本気で考えて行動し、実現したのだ。
ある時、よしのから恋をしていると聞いた。
相手はカナダ人の男性だという。
とても悩んだと思う。移住することと、移住先で結婚することは必ずしもイコールな考えではない。
結婚が目的で海外に行く人もいるが、先ず彼女の場合はカナダに住むために仕事をしていたからだ。
カナダ国内とはいえお互いが住んでいる場所も二〇〇キロくらい離れていたようだ。
(彼女はヴィクトリア、彼はチリワック=今回の目的地だ)。
すぐに会えるわけでもないし…と悩んでいた時期もあったが、お付き合いが始まり、二人は結婚した。
紆余曲折中のロマンチックなエピソードもいくつか聞いているが、それはプライベートなこととしてそっとしておこうと思う。
そして、まずは『よしのに結婚のお祝いを言うこと』、そして彼女が話す、「山に囲まれた、本当になにもないところ」での生活を見たいという『好奇心』が、旅の締めくくりにチリワックへ行くことを決めさせた。
…
旅の準備をしていると、よしのから素敵な提案をもらった。
「私が働いているチリワックのグループホームで、ミニコンサートしませんか?」
川崎での重度心身障害者施設での音楽療法活動を掲載したFacebookを見ていてくれて、ということだった。
もちろんやらせてください!と、私達の旅のゴールが決まった。
チリワックでの音楽療法だ。
バンクーバーでお買い物
「チリワック」へのアクセスは、都市バンクーバーから車で2時間弱。
まずはモントリオールからバンクーバーへ飛んだ。大陸横断には陸路のルートもあるが、日数がかかりすぎるので、今回は国内線を利用することにした。
バンクーバーで旅の相方・前田と自由行動している時間、私は一人で海岸や住宅街を散歩していた。
海に向かって設置されたベンチに座っていると、近くを通った人が微笑みかけて「Hi!」と言ってくれることもある。
周辺を見回すと、岩場に座って本を読んでいる男性、子どもを遊ばせている親など年齢も性別も様々。
もちろん日本でも見る光景だが、より一層多様に見える。
あれ、今日平日だよな?
「もし日本で平日に、”働き盛りと言われる世代”が、何人も海でぼーっとしてたらどうなんだろう?」
そんな考えがよぎり、少々心が曇った。
かれらは、たまの休日なのかもしれないし、フリーランスで時間の自由がきく人かもしれないし。
そんなことはどうでもいいはずなのに、曇った心で、私はそんなことを考えた。
そして、人からどう見られたいか、いちいち考えることにうんざりしているんだと気づく。
自分の人を見る目が、何かを判断しようとしていることにも――。
ここが好きなのは、バンクーバーが住みやすいのは、親切な人も多いが、人がお互いにそこそこの距離感を保っているからだと感じる。
海、山に近いからといって田舎ではなく、都会では在るがトロントほどせかせかしてもいない。
なにより人との距離感が遠すぎず近すぎない。
これがバンクーバーが住みやすいと感じる一因なのかもしれない。
さて、と海風を楽しめるベンチから腰をあげて、1ドルショップへ向かった。
チリワックでの音楽療法の、材料を探すためだ。
画用紙や絵の具など一通り買い物を済ませたあと、その足で手芸店にも立ち寄り、自分のアクセサリー制作用と販売用にパーツを仕入れた。
今回は思いがけない体調不良に見舞われていたので、ちゃんと買い物をしたのはここだけだったかもしれない。
暖房が効かない寒い部屋に戻って、「ああ、もっといろんなマーケットやアートを見たかったのに!ニューヨークでも。」とくよくよする私に、旅の相方・前田がさらっと言う。
「また来ればいいよ」
「そっか」
長距離を移動してきたせいか、私達の中では、都内から諏訪大社に旅行したときと、さして変わらない感覚になっていたようだった。
チリワックの生活
やっとチリワックに到着
「彼」と初めて会った時、ロマンチックでとても優しく、紳士的で、よしのを尊敬し、幸せにしたいと願っている人だということがよくわかった。それは一緒に旅した旅の相方・前田も感じたと思う。
「よしの」の結婚相手の男性はデニーさん。
さて、デニー夫妻が住んでいるのはどんな場所かというと。
カナダに旅行をしても、チリワックには行ったことがないという方がほとんどかもしれない。
夏にはキャンプやカヌーを楽しむ人で賑わう緑豊かな場所だ。
デニー夫妻は街からだいぶ外れた山の中の、急な坂をいくつも登ったキャンプサイトに住んでいた。
彼の仕事の関係でそこに住んでいるのだが、リビングには暖炉があり、ベッドルームが3つもあるログハウスで、一言で言って、最高だった。
鳥の声、風の音、窓から見える景色は山と草木と飼っている動物。
夜は当然のように沢山の星空。そしてとても寒い。
夕食の後、ご近所さんがデザートにと、ケーキを持ってきてくれた。冬になって雪が深くなれば、車での移動もままならなくなるような場所だ。
ご近所付き合いというより、本当にお互い助け合い、気を配りながら暮らしているのだろう。
食べながら、「この辺りはどんなところなの?」と聞いた。
「家の前にりんごの木があるんだけど、その実を食べにクマが来るよ」とか、
「クーガー(ピューマ)が出るから夜に外を一人で歩いちゃだめだよ、もし出会ったら、まっすぐ帰ると家までついて来るから、巻かないとだめだよ」とか。
いくらカナダとはいえ、彼らの日常で起きるエピソードが、想像を超えていた。
翌日、いよいよ今回の旅のハイライトとも言える、チリワックのグループホームでの音楽療法に向かう。
前日寝るギリギリまでピアノに向かっていた旅の相方・前田は、いつもピアノの仕事の前になると眠れなかったりするらしいけど、大丈夫かしら。そんなことを思いながら、前もって拾っておいたメープルの葉やバンクーバーで仕入れた絵の具などをテーブルに並べる。
グループホームでは、一人の利用者さんに対して一人のスタッフがついていた。
家庭用の普通のキッチンで用意されるコーヒー、それぞれの個室、参加したくなければ部屋にいてもいい、など本当に『ホーム』だった。
ピアノの演奏とともに、「Let’s decorate this paper with the leaves! この葉っぱを使って、カードを作りましょう!」と声をかけると、皆思い思いの色を葉に塗り、画用紙にペタペタとスタンプしていく。
心配していた旅の相方・前田は、次々と曲を演奏し、昨日の緊張が嘘のように、楽しそうに弾んだ音の曲が奏でられた。
印象的だったのは、『さんぽ』を弾いた時、ほぼ全員がこれはマーチだと理解して、行進を始めたことだ。
ダンスが大好き!という女性は終始楽しそうに踊っていた。
「これはママにあげるのよ」と、自分の名前を書いたり、「この色を塗って」と私に頼んでは、「自分でやらなきゃだめ~」とスタッフさんにたしなめられていたり、「はい、終わりましょう!」と声をかけても全然手を離さなかったり。
「僅かな時間でも、彼女たちにはとても刺激になったみたい、私達も楽しかったわ」
と、スタッフの方からの声もいただいて、ああ、ここまで来てよかった。一瞬だけでも楽しかったなら、本当によかった!と心から思えた瞬間だった。
冒頭で述べたとおり、正直、途中で帰ることになるかもしれないと思っていたし、長旅で体力も限界に近づいていた。
そんなときでも、人に喜ばれるというのがこんなにパワーをくれるとは。。と言うと綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、確かにそう感じたのだ。
――よしのの仕事の喜びの、ほんの僅かな一端を垣間見たような気がした。
感動するほど美しい、カルタスレイク
夫デニーが車で迎えに来てくれて、家までの道の途中にある『カルタスレイク』に連れて行ってくれるという。
トレッキングコースや公園のある湖で、夏にはバーベキューや日光浴を楽しむ場所として人気の場所だ。
でもここを訪れたのは初秋。
道路から遠目にみえた湖畔近くには、確かに綺麗な森が見られるが、まだそれほど赤く色づいてはいない。
「ここから降りよう、この湖でプロポーズしたんだよ」
さらっとデニーが言う。
「え!?ここで!?え!?」
とキャーキャー言う私達をおいて、よしのの手をとって降りていく。
道路から少し下ると、雄大な湖が姿を現した。
「大きい―― そして 静か!」
季節柄、散歩をする人もほとんどなく、真っ青な空に滲んだように浮かぶ雲とほんのり赤くなり始めた森が、秋を迎えようとしている。
空気は静かに冷たく澄んでいて、空の青を取り込みキラキラと輝く湖面が、どこまでも広がっていた。
小さな桟橋にあたる水のコポコポとした音や鳥の鳴き声以外聞こえない。
以前よしのと二人で旅行した時も、湖に連れて行ってもらったのを思い出した。
あのときも仕事もプライベートも不安定だった私に、ただただぼーっとする時間をくれたな、と。
「家族が日本にいて、いつでもすぐに帰れるわけじゃないって、不安?」
そう聞くと、「それは何度も考えたけど、日本にいても同じことはあるよね」と答えた。
確かに。問題は距離じゃない。
私自身、一年近く入院していた父を看取るとき、その瞬間はそばにいられなかった。
この年齢になると、親の”その時”を考えることや自分の老い、パートナーとの関係を、自分を留める理由にしがちだ。
「バックパッカーでいつまでも自由にしてるのかと思ったけど、結婚して、幸せそうで良かったよ」というと、彼女も時々、旅っていいな、と思うことはあるらしい。
大陸横断の最後に
海外に行く人に、「自分探しの旅なんかしたって自分はみつからないよ」という言葉がかけられることがある。
そのとおりだと思う。自分はここにしかいないから。
ただ、旅を通して自分には不可能だと思っていたことが実はあっさりできることになったり、想定外の出会いがあることもある。
私個人に関していえば、ここではないところへ移動して、日常と違う生活をすれば、心に何の変化も起きないことのほうが珍しい。
他人からしたら、そんなちっぽけなことのために時間やお金を無駄にするなんて、と思われるかもしれないし、たまたま運が良かっただけでしょ、と思うかもしれない。
でも人が何を思おうが、私は旅することを愛しているし、そこでの出会いを愛している。
旅行が好き、冒険が好き、という人たちはそんなちっぽけな理由でいいのだ。きっと。
よしのの長い旅の目的は結婚ではなかったけれど、そういう相手と出会えた。
私の旅の目的はよしのに会うことだったけれど、それ以上の感覚も感じられた。
「ふたりとも、こんな遠くまで来てくれてありがとう」とよしのが言う。
「ここに連れてきてくれてありがとう」と私達がいう。
それだけで、この長く短い旅をしてよかったと、心から思えた。
□ライター Aromariage フラワージュエリー作家

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