【公式】the Afrothumbsのアルバムに寄せて/制作裏話、のようなもの。| カリンバ奏者 スズキキヨシとの出会い。

〜the Afrothumbsのアルバムに寄せて〜


スズキキヨシ
という人物はすごい人だ。
僕が60余年の生涯で、真の意味でGuruと慕い、墓の中まで尊敬を失わないだろうと思える、ほぼ唯一の存在である。


まだ、音楽にも人生にも、迷いや気負いや衒いのあった30台半ばに出会ったその人は、人懐っこい笑顔と東京に不釣り合いな超絶カジュアルな出で立ちで、いつも風来坊のようにどこからともなく現れては、知らぬ間に消えていた。

その一見ヤバそうな風貌ただ者でないオーラ怪しげな楽器かどうかすら定かでないモノを携えて、いつも音を鳴らしている様は、きっと嫌悪して近づかない人だっているんじゃないか、と思えるくらいではあったが、僕は彼の警戒感を感じさせないように人との距離を詰める見事な話術や所作にすっかり魅せられてしまったのだ。


やがて、東京暮らしに疲れ、湘南への移住を決めた僕を快く迎えてくれた彼とは、初めて家に招いた日に10時間以上話し込んだのをきっかけに、音楽活動をともにすることになった。

その後の数年間の日々といったら…。それはもう本当に、それまでの人生で僕が見聞きしたことも、想像したこともなかったような出来事や会ったことのない類いの人々との遭遇~刺激に満ち、良くも悪くも得難い体験の数々にどっぷりと浸かって、彼の薫陶を受ける日々を過ごしたものだ。

語ればキリがないのだけれど、音楽の組み立て方、ライヴへの入り方、音楽をするということへのアプローチや思考、起こりうる事象への対峙の仕方と心の重心の置き方、問題への対処法とニュートラルな意識の保ち方、等々。

そうしたすべての事柄は、彼の口から何かが発せられて学んだ訳でも、教えを乞うて身につけた訳でもない。

どれも、現場での彼自身の振る舞いをみたり、さまざま困難な状況の現場に放り込まれ、自ら悟るか身に着けざるを得なかったものである。だからこそ、貴重な時間となったし、それらが今になって自分自身の血となり肉となって活きている、ということに驚きさえおぼえずにはいられない。



そんな濃密な日々を過ごしてはいたけれど、やはり、まだ青臭く、生来の生真面目さや身についた学術的アプローチが邪魔をして、ある時、捨てゼリフを残して彼のユニットを抜けて以来、何度もついたり離れたりを繰り返し続けて、かれこれ25年くらいになる。

そんな中、鎌倉に腰を据えた僕が始めたプライヴェートレーベルでは一時、毎月異なる地域の民族音楽アルバムをリリースし、そのリリースLiveも行うところまでをパッケージとする、という無謀な試みをしていて、いざアフリカをテーマに音源制作をしようとなった時に、しばらく疎遠になっていた御大をぜひ担ぎ出して一緒にアルバムをつくろう、と思い立って企画したのがこれらの2作品である。

何より、それまでのほとんどの音楽現場やリリースした音源は、スズキ氏のネームバリューやネットワークがあってこそ成り立っていたものばかりだったし、その恩恵にあずかりっぱなしだったのも心の隅に引っかかっていたので、恩返しの意味合いもあった。

 

そうして、快く僕の求めに応じ、相変わらず素晴らしくファンキーでグルーヴィーな演奏を残してくれたスズキ氏であったが、本当のところ、実は彼はこの作品たちを気に入っていないはずで、少なくともリリース直後には、この仕上がりに不満しかなかったと思う。

というのも、彼のこれまでしてきたことやスタイルからして、この2作品に見られるような、小難しいテーマや曲中の起承転結やいわゆる曲としての体裁やこじゃれた旋律や、ましてやしゃらくさい歌詞のついた歌など、不要なものであったに違いないのだ。
その証拠に、確か2年続いたこの毎月アルバムリリース・プロジェクト中でも、この作品たちだけはリリースLiveを行っていないと思う。


実際、素晴らしい演奏をしてくれたとはいえ、セッションに近い形のレコーディングは詰まるところ取りとめがなく、カリンバや打楽器を中心とする演奏はどれも20分や30分はひたすら続く訳で、結局、編集段階で良さげなところを切り取って1つのトラックとして仕上げているのだが、氏としてはそのままで十分、と思っていたのではないかと推測している。

が、僕ときたら、その後に腹案を実現すべく、そっと後からスワヒリ語のコーラスやら吹きものを加えてみたり、意味ありげなタイトルとか、小難しいコンセプトとかをまとわりつかせたりしたものだから、何だか自分らしくないものに仕上がった、と思ったのではないだろうか。その後、氏の周囲でこのアルバムの存在を知らされた人は、そう多くはないはずである。

 

とはいえ、こうした文脈の中でもなお、スズキキヨシのグルーヴや音のチョイスなど、凄腕ぶりが際立っている、と思うのは僕だけなのだろうか?

10年という熟成期間を経た今、聞き返しても、我がGuruの技が光る素晴らしい音源に仕上がっていると独りごち、彼と過ごした貴重な人生の時間を思い返しては感慨に浸る熱帯夜なのであった。

深夜の書斎にて。

 

 

クニ黒澤(中世古楽演奏家、民族楽器奏者、作・編曲家)
30年以上にわたる中世ヨーロッパ音楽家としてのキャリアに裏打ちされたマルチ・インストゥルメンタリスト。管弦打楽器をさまざまに操り、ブラジル音楽、ケルト音楽、アラブ音楽、アフリカンポップス、など多岐にわたる分野で活動中。これまでに『AEORUS』『NRP Records』両レーベルから計7枚のリーダーアルバムを発表したほか、Final Fantasy IXの音楽制作などにも携わる。鎌倉を拠点とする極私的レーベル『tacto rustico』にて異なるジャンルの24枚のアルバムをリリース。



the Afrothumbs【アフロサムズ】

母なる大地アフリカのサウンドやビート、
空気感や人々の営みにインスピレーションの源を得て、
カリンバ(親指ピアノ)を中心としたアフリカ起源の
プリミティヴな楽器たちが生み出すシンプルで力強いサウンドと
西洋楽器のモダンなフレーバーの融合を試みる、 異種格闘技バンド。
全曲、セッション・コンポージングによるオリジナル。
インプロビゼーションの醍醐味を追求する、
ジャズ寄りのワールドミュージックとして積極的に展開中。

シーズン1は、 日本のアフリカ音楽の草分け、
カリンバ&パーカッション奏者スズキ キヨシを中心に据え、
カリンバ・サウンドの多様性を表現。

Kiyoshi SUZUKI [Kalimba, Sanza, Percussion]
Kuni KUROSAWA [Harp, Keyboard, Sen, Guitar, etc.]
Masao NAKAMOTO [Kalimba, Cajon, Shaker, etc.]

 

品番 iota-023/iota-024
配信開始日 2020.07.22

▶︎動画 全曲視聴

 

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ライター 黒澤邦彦(tacto rustico label/Founder, Musician)

黒澤邦彦(中世音楽家、民族楽器演奏家、作・編曲家、プロデューサー)
30年以上にわたる中世ヨーロッパ音楽家としてのキャリアに裏打ちされたマルチ・インストゥルメンタリスト。管弦打楽器をさまざまに操り、ブラジル音楽、ケルト音楽、アラブ音楽、アフリカンゴスペル、など多岐にわたる分野で活動中。
これまでに『AEORUS』『NRP Records』両レーベルから計7枚のリーダーアルバムを発表したほか、Final Fantasy IXの音楽制作などにも携わる。鎌倉を拠点とする極私的レーベル『tacto rustico』にて異なるジャンルの24枚のアルバムをリリース。

 

【鎌倉の街からワールドミュージック】

 

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【studio iota label】

日本の音楽レーベルstudio iota labelではCDの制作・販売、WEBコンテンツの発信、企業のWebライティング、動画BGM製作、アーティストやお店などの写真撮影、作曲・編曲事業、レコーディング・ミックス事業などを行っています。

 

【ウェブサイト】http://studio-iota.com/
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