江戸時代から愛され続けている東京の郷土料理
江戸時代に東京湾や隅田川で豊富に獲れた天然うなぎ。
他の場所で撮れるものよりも上級品として人々に一目置かれる存在で、
江戸前
と呼んで、区別されていました。
『江戸前』は、江戸城の前に広がる海や河川、そこで獲れる魚介類を指す言葉ですが、
元来は、うなぎのことを指していたんですね。
江戸の名物といえば、浅草海苔。もうひとつ佃煮があります。
江戸湾を前に獲れた魚介類は、江戸の名物となり、諸国に知られていきました。
日本人がうなぎを食べ始めたのは縄文時代から
国内の130ヶ所の縄文・弥生遺跡から、うなぎの骨が出土しています。
特に関東地方では、東京湾周辺や利根川下流域の遺跡から見つかっているそう。
日本人が約5000年以上前から鰻を食べていた証拠です。
もしかしたら、骨が見つかっていないだけで、うなぎを食べ始めた時期は縄文時代より早かった可能性も・・・!?
調理方法は不明ですが、想像をしてみるのも楽しいかもしれません♪
鰻のおいしさを追求するようになった江戸時代
江戸時代までの蒲焼きは。酒の肴スタイル。
甘辛いタレとうなぎの脂が、ジュワッと炭火の上に落ちて芳る姿は、
優勝!!
それまで蒲焼き屋ではご飯を出していませんでしたが、
人形町の芝居小屋『中村座』のスポンサー、大久保今助が、かば焼きが冷めないようにと、
丼飯の間に挟んで芝居小屋に届けさせたものから
『うな丼』がメジャーになっていったとされています。
うなぎ + ご飯は 江戸っ子の間で大ヒット!
主食であるご飯とおかずが別々に配膳され、それを一箸ごとに口に運ぶ
という様式を基本としていた古来の食事から、
ご飯とおかずを一つの丼鉢に盛った”丼もの”が開花する先駆けとなります。
お酒が飲めない人にとっても、ご飯のおかずになれば、食す機会ができますね!
「土用の丑の日」の由来をさがす
うなぎの旬は、実は秋から冬にかけて。冬を越すために栄養を蓄えるので、身が柔らかになり脂がのってくるんです。
ところが毎年夏になると、新聞・雑誌などでうなぎの蒲焼きを作ったり食べたりしている様子が風物詩として紹介されます。
実際、夏の「土用の丑(うし)の日」には、うなぎの年間消費量の3〜4割が消費されているといいます。
夏バテ防止になるという蒲焼きの効用とともに、
土用の丑の日に蒲焼きを食べることが流行となった理由はなぜでしょうか?
諸説あって正確な由来はわからないそうですが、
学者として有名な平賀源内が、鰻屋に頼まれて作った宣伝コピー、という説が特に有名です。
「本日丑の日」
土用の丑の日うなぎの日
食すれば夏負けすることなし
夏場の売り上げ不振に悩んでいたうなぎ屋のために、店の入り口に「キャッチコピー」 を大きく書いたところ、その店が大いに繁盛したというもの。
同じように商売に困っていた他のうなぎ屋も真似るようになり、それが拡がっていくことで夏の「土用の丑の日」にうなぎを食べるという習慣が根付いていったのです。
平賀源内といえば、エレキテルを復元して紹介したことで有名ですが、とにかく多彩な人で、学問や発明以外にも、浄瑠璃の台本を書いたり、西洋画まで書いてしまうという、いわゆる「天才」または異才の人で、江戸では知らない人はいない、という有名人だったようです。
プロモーションが得意で文才のあった平賀源内は、この他にも色々な宣伝文句の依頼を受けていたそうで、「コピーライターの元祖」とも評されています。
その後の文化まで作ってしまうなんて、見事に人々の心を捉えた宣伝です。
(稀代の男色家であったため、生涯にわたって妻帯せず、歌舞伎役者らを贔屓にして愛したという。)
どこを取っても栄養の「最高の健康食」
うなぎの蒲焼きにはビタミンB1(食欲増進など),A(視力増進)、E(老化防止)などが多く含まれるほか、DHAとEPA(脳や心筋梗塞予防など)やレシチン脳細胞活性化など)なども含まれています。
「土用の丑の日」の由来はさておき、蒲焼きが夏バテの防止や解消に効果があることはまちがいないようです!
うなぎにまつわる諸説は尽きません。
逆に言えば、それだけ多くの人に愛されているものなんだなって思います。
□■□■□■□■□■
【studio iota label】
【LoFi Hiphop BGM】流れるイオタ『黄昏を駆け抜ける』 (Official Album Video) – Driving through the twilight
【X(Twitter)】https://twitter.com/nagareruiota
【note】https://note.mu/nagareruiota