『暗渠』(あんきょ)
水の流れが外部から確認出来ない箇所 を指すことば。
度々、『タモリ倶楽部』でも登場する言葉で、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
逆に水の流れが外部から確認出来る箇所を『開渠』(かいきょ)や『明渠』(めいきょ)と言います。
普段は姿を見せない『暗渠』。見えないからこそ、好奇心をくすぐられますよね?
昔の地図には確かにその軌跡があったのに、今は確認出来ない特別な存在、『暗渠』をピックアップします。
「江戸時代」、「戦後」、そして「未来」の東京へ
第2章 水を感じる。川の息吹きに触れる街歩き
戦後から高度成長期。昭和の地図片手にタイムトリップ!
第1章 地図で旅する東京の水辺 「江戸時代」「戦後」「未来」へ空想タイムトリップ!江戸古地図にみる東京湾の本当の姿。に続き、地図の登場です。
昭和30年代の渋谷の地図。
現在と変わらないころもありますが、違う箇所もチラホラ見受けられますね。
昭和30年代の渋谷区全域の地図
・知らない場所に、駅が沢山ある。
→「青山一丁目」の近くに「青山三丁目」、「青山四丁目」、「青山五丁目」、「権田原」なんて駅が存在していますね。
当時の東京を無尽に走ってた、今はなき都電の駅たちです。
・神宮球場の周りに相撲場、ボーリング場がある。
→地図見るまで、全く知りませんでした。
・代々木公園が在日米軍の兵舎家族用居住舎であった、「ワシントンハイツ」となっている。
→ここに居住の子供目当てで、原宿にキディランドが出店したと言われております。
などなど、面白い事も沢山ある地図探索なのですが、ここからが本題。
上の地図を、もういちどご覧下さいませ。
原宿駅から西にいった所にある
都電「原宿三」駅の
すぐ右隣りの『原宿』の文字の『原』の真下。
縦に走る黒い線があるかと思います。
線を上に辿ってみると、「千駄ヶ谷駅」を越えて、新宿御苑に辿り着きます。
線を下に辿ってみると、表参道を渡って、渋谷駅へ。更に下に行くと、「恵比寿駅」の北側を通って、天現寺辺りまで続いています。
さて、このクネクネした黒い線は何を示しているでしょうか?
答えは、下の航空写真に記載。
昭和22年頃の表参道付近の航空写真
戦後間もない昭和22年頃に撮影された表参道付近の航空写真です。
先ほどのの黒い線の場所に当てはめると。
『渋谷川』の文字が。
地図の黒い線は、渋谷川という川を示していたものです。
流れています?
うん、アレ??『流れていた』んじゃなくて、『流れています』?
表参道に川なんか流れてないよ。
地図のその場所って、裏原宿のキャットストリート。お店いっぱいじゃない。
そう思われるかも知れませんが、現在も見えないところで「川」が流れています。
キャットストリートの愛称で親しまれる旧渋谷川遊歩道路
古地図の場所の地上に渋谷川の流れを見ることは出来ませんが、「暗渠(あんきょ)」として、キャットストリートの愛称で親しまれている旧渋谷川遊歩道路の地下水路を流れています。
裏原宿と呼ばれるエリアに続く道 キャットストリートの現在
暗渠(あんきょ)となった渋谷川はその後、
渋谷駅の南側→渋谷駅から国道246号線を渡った、「渋谷ストリーム」の真下で地上に姿を現して、
恵比寿、天現寺、麻布十番、芝公園を経由して東京湾に流れ込みます。
天現寺辺りから先は首都高の下を流れており、気にしないと川が流れているって気づきにくいかも知れません。
キャットストリートは1964 年の東京五輪前に埋め立てられた暗渠(あんきょ)です。
実は『暗渠』、東京の至る所に存在しています
水の流れが外部から確認出来ない箇所、暗渠(あんきょ)。
東京都内の暗渠(あんきょ)を含む、元河川で水の流れを今は見る事の出来ない河川の数は、ざっと調べただけでも80箇所以上。実数としてはゆうに100箇所以上あるのではないでしょうか。
東京が水の街であると実感します。本当に。
そんな東京に数多く眠る『暗渠』の魅力を、「渋谷川」を通してお伝えしていきますね。
① 渋谷川はどうして暗渠に?
冒頭に書いたとおり、昔の地図を辿ると、渋谷川は、新宿御苑→東京湾に流れている川でした。
当時の川の流れを想像してみます。
私は、これが暗渠を旅する。一つの醍醐味だと考えます。
早速、想像開始!!
当時、若しくはそれ以前の渋谷川流域は今よりはあまり開発が行われていない場所も多いはず。
のどかに流れる水。
渋谷には、魚がイキイキと泳いでいたかも知れない。
恵比寿には、野花が咲き、蝶が優雅に舞っていたかも知れない。
天現寺では、子供達が楽しく水遊びをしていたかも知れない。
想像。妄想で、過去を思い描いてみます!
ではどうして、のどかな川が、人々の前から姿を消してしまったのでしょうか。
暗渠化される前の渋谷川
(「渋谷文化project」より引用)
渋谷川以外にも多くの川が同じ時期に暗渠化されています
多くの川が暗渠化されたのは、昭和の東京オリンピック開催時期。
戦後の高度成長期、日本人の生活が急激に発展しました。
東京の人口が加速的に増加する中で、家庭からの下水はそのまま川に流され、東京の河川のあちこちで、汚れ悪臭を放つ場所となっていきます。
そんな状態を外国の人には見せられない!
そこで取られた対策が、『臭いものには蓋をせよ』。
言葉通り、川に蓋をする対策、すなわち暗渠化 です。
② 暗渠化のさまざまな種類と種類
渋谷川も、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に新宿御苑〜渋谷駅南口付近に掛けて、地下に配管を敷設する方法で、あっという間に暗渠化されます。
地上からは姿を消し、人からは見えない川の流れになりました。
他の多くの川も同様に暗渠化され、当時の人々が望んだように、川の悪臭から解放されていきました。
③ 暗渠化の後
渋谷川の暗渠化後はどうなったのでしょうか?
下のような経緯を辿り、現在に行き着きます。
・遊具の設置→近隣の子供のための公園
↓
・野良猫が居つく→キャットストリートの語源
↓
・明治神宮外苑のスポーツ観戦客の渋谷までの裏道
↓
・近隣の服飾専門学校卒業生の個人店のアパレルショップ、ワイヤードカフェ、感度の高いアパレル、有名ブランド店が開業
↓
・そして、裏原宿の誕生へ
暗渠の上はクリエイティブに生まれ変わり、カルチャーの発信源として進化し続ける街へと変化しました。
今でも感じる川の面影。
こんな形ですっかり変化してしまった渋谷川暗渠ですが、キャットストリート(旧渋谷川遊歩道路)の至るところで、川の面影、暗渠のサインを確認することができます。
・暗渠のサイン【橋跡】
親柱(おやばしら): 橋の名前や出来上がった年月が記載された、橋の太い柱。
橋梁(きょうりょう) : 谷などの地面やより低い位置を通る道路・鉄道路線、川・湖沼・海といった水面などを跨ぐ形で、高い場所に設けられた道。
ここに橋があった確かな証ですね!
穏田(おんでん)はこの地域の昔の町名に由来しますが、地名からもこの地に田んぼがあった事、田んぼに水をひくための水路(川)があった事が伺えます。
・暗渠のサイン【重量制限の標識】
この下に埋設された水道管が埋設されている為に、車両の重量が制限されています。
あまり見ない標識ですよね。これも暗渠の印!!
他の暗渠は、そもそも車両を通行禁止にして車止めを設置する事もあります。
暗渠は「水路に蓋をした状態」であるわけで、重量のある車両が乗り入れないようにしているんですね。
・暗渠のサイン【クネクネした道】
クネクネした道も、川の流れそのもので、水の流れを感じる事が出来ます!
地図でも分かるクネクネ感!
他にも道の中央が盛り上がっている段差など、
そこが川であった痕跡がいくつも感じられます。
暗渠化された場所は、何らかのサイン、印があるパターンが多いのです。
是非是非、みなさんも街歩いている時、暗渠のサインを見つけてみてはいかがでしょうか。
終わりに
戦後間もない地図から、今なき川の流れを見つける旅をしてみました。地図からも、そして現地に行ってみても、確かに水の流れを感じる事が出来ました。
渋谷川だけではなく、東京の至るところにある「元」川の箇所が実感できるはず。
もしかしたら、自分の家と好きな場所が、水の流れで繋がっているかも知れないですね。
今まで知らなかった流れに出会える、近場の歴史の旅。提案します!
かつてそこにあって、現在はなぜ無いのかを調べてみると、
当時の人々の望み、求めているものを感じるキッカケになるかも知れません。
地図片手にタイムトリップしてみては。
□ ライター オキツ カズヒロ
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【studio iota label】
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