わたしの机には、5つの会社から届いた源泉徴収票が揺らめいていた。
さて、さて。
これは昨年、5つの会社で働かせてもらっていたという事を意味している。当たり前だけれど。(2016年初頭の執筆記事になります。)
週7日なにかしら働いて、夜は演奏して、
帰宅するとレッスンの準備をして、
ひと月10万円程度。
「前田サンって何が趣味なのー?」
「音楽をやっています」
「あら、食べられないからここで働いてるのね。大変だものね。」
「………………………………………………う。
音楽レーベルを始めて、ひとつのタイトルをリリースしようとしたら、最初
100万単位のおかねが必要だった。
100万単位のおかねが必要だった。
(もちろん、人にもよると思います。)
放課後の子供たちが遊び回る職場の、ロッカーのーの片隅で、悔しくて身震いした。
◇◇その時期のお話はこちら→北極圏の都市アルタ。イオタの由来と音楽療法と。
コンビニエンスストアで「副業」の本を見かけたので、なけなしのお金で友達と購入した。
「○ックオフの全商品を買い取って転売したら」
「ふるさと納税で勝つコツ」
「流木ハンターになろう」。
「流木ハンターになろう」。
どうしたものかなぁ・・・。
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目次
転機は、ベルリンへ旅行に行った時にやってきた。
日本人の女の子の暮らす家で寝泊まりをさせてもらった。シェアメイトは料理人とミュージシャンのカップル、ゲイのカップル。
このラインナップで過ごさせてもらう日々は、ワクワクだ。
ベルリンは、貧乏だけれど、クリエイティブだった。
□毎晩のように近所で繰り広げられるライブを見に行ったり(どれもビール代だけで無料だった。)
□アウトバーンという高速道路を自転車で走るイベントに参加したり(無料)
□一流の演奏をするとされてる、ベルリン・フィルを見たり(子連れ、お年寄りの優先席が配置されていて、昼間は無料だった。)
公園で泣いている人がいても、それすらも“個性“という中では、当たり前の光景だった。
そのとき、わたしは、会社員でも、先生でもない。
そのとき、わたしは、会社員でも、先生でもない。
音楽をやっているのだから、「ミュージシャンです」。
それでよかった。許された気がした。
シンプル。
ひとつの都市に数日間滞在したくらいで、その街のなにが解るってわけでもない。
でも、影響を受けるのは許してくれるかしら?
生活の為の仕事は、全部辞めよう。
少なくとも、レーベルの仕事ですといえるものだけで食っていこうと、胸の中で決意した。
ピンと来ないものは直感に従う。
きっと、嫌いなものを切り捨てていけば、おのずと好きなものしか残らない。
そして、もっともっとすぐそこにある、周りのお友達や、家族や、大好きな音楽仲間との時間を大切にしていきたいと思っていた。
演奏しよう!と意気込んで行ったベルリンだが、結果的にはしなかった。
まずは身近な人に、出来る事をしゃべる
なにしろ、何も知識が無い状態でこの仕事をスタートさせたので、何をして良いかまったく分からない。
曲を作る事、アレンジする事、ミックスする事、ドラムを叩く事。
PAをしていた事、文を書く事、写真を撮る事、それをWebsiteにはめる事。
そんな事をポツポツと回りに話し始めた。
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現実、生活を支えるのは音楽以外の仕事だったため、「何の為に独立したんだろう?」という思いに悩んでいた。
そんな中で気付いたのは、”失う事を異常に恐れている” ということだった。
「失う物はまだ何も無いじゃないか。失敗しても、後戻りはしないと腹をくくって曲を書けばいいではないか」
心が決まったその夜、
BGMを書かせてもらった企業動画が、大賞を取った。
旅に似合う音楽
「どこでも予定は空いています!」といえるようになった事で、徐々にだけれど、仕事が入るようになっていった。
平日の昼間には、リサーチの為によく図書館(蔦○書店)に居る。
平日の昼間には、リサーチの為によく図書館(蔦○書店)に居る。
どの本を選ぶかは、無限に選択肢が広がっていた。
どの本を選ぶか=これからどうするかに繋がっていると思うと、その重さに足がすくんだ。
周りの人の手元を見渡してみた。
視界の中にはいつも、旅行雑誌が写った。
旅行・・世界一周・・・旅のガイド。
誰かみたいになろうとしても、全然なれない。
ロッカーのーの片隅で、悔しくて身震いしていた “食えない音楽家” が、精一杯、今日もつくり続けるだけなのだ。
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